プロフィール

「転んでもタダでは起きない」が信条です…全身アザだらけですが

資格等

・中小企業診断士(旧商業部門、2001年登録)

・社会保険労務士(2010年登録)

一般社団法人日本ダイバーシティ・マネジメント推進機構認定 ダイバーシティ・コンサルタント(2017年)

・東京商工会議所 健康経営エキスパートアドバイザー(2019年)

一般社団法人個を活かす組織づくり支援協会認定 パワハラ予防士(2022年)

サンゴクエスト  認定ファシリテーター(2023年)

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・独立行政法人労働者健康安全機構 両立支援コーディネーター基礎研修修了(2020年)

・全国社会保険労務士連合会 医療労務コンサルタント研修修了(2022年)

・一般社団法人東京都中小企業診断士協会城南支部 
 中小企業SDGs支援専門家養成コース修了(2024年)

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・日本女子大学人間社会学部非常勤講師(2017年度~)

経歴

・石川県金沢市生まれ。静岡県清水市に5年、焼津市に高校卒業まで過ごす。

・静岡県立藤枝東高校、横浜市立大学商学部経営学科(経営学コース)卒業。

・農業関連の全国団体、食品卸売会社、社会保険労務士事務所を経て、2008年独立、現在に至る。

・いわゆるバブル世代。2回の出産退職経験あり。

もう少し詳しい「ここに至るまでのお仕事など」については、こちらで語っています。ご興味がおありの方だけ、こちらをクリックください(隠しておきます)

【その0:大学まで】

 家にあった労働関係の本の影響か、学校の先生の影響か、中学のときから法律が好きで、高校1年のときには法学部に行こうと決めていた。が、希望の大学の法学部には進学できず、労働法が専攻できる大学の商学部へ。

 ところが、思いのほか経営の勉強が面白く、経営組織論のゼミを選択。卒論は日本的経営をテーマに執筆した。今はこの大学の商学部で学べて良かったと思っている。


【その1:大学卒業して初めての職場~診断士資格取得】

 就職活動は、バブルの残り香が漂う頃。とはいえ、男女雇用機会均等法施行直後でもあり、Uターン就職も大卒女子には厳しかった。私のノートで単位を拾っていった男子同級生たちが内定長者になっていることに不条理を感じつつも、どうにか総合職として農業関連団体に就職。

 就職先では、まず国際関係部署で発展途上国の女性組織化支援や国際会議事務局を3年担当、教育関連部署で人事・教育コンサルティングや研修インストラクター、教材開発を5年担当。一方で労働組合活動にも携わる。

 農業関連団体ということで、男性職場と思われがちだけれど、実際は「若いから、女性だから」ということはなく、何でも任せてくれる職場だった。残業は多かったけれど、仕事はやりがいがあり、ここで一生働くつもりでいた。

 しかし、妊娠中、無理をし過ぎて、長女をわずか23週600グラムで出産してしまったことがきっかけで、残念ながら退職。まともに引継もできずに迷惑をかけてしまった。

 専業主婦となり、しかも長女がハンディを持つことが判明し、キャリアの全てを失ってしまった…と失意のどん底にいたけれど、出産1年前に気まぐれで受けた中小企業診断士の1次試験に合格していたことを思い出した。こうなったら、この資格に人生の再起をかけようと決意。診断士試験旧制度最後の年の2次試験に合格、そのまま3次実習に突入し、2001年4月診断士登録。商店街支援や調査のお手伝いから活動を開始。


 【その2:パートタイマーで再就職】

 診断士活動は細々としていたものの、小さな、しかもハンディのある子どもがいては外出はままならず、しばらくは活躍する同期をうらやましく眺めるだけ。キャリアも浅いし、当時は独立しようという気持ちはなく、いずれ再就職を…と漠然と思っていた。とりあえず社会復帰の足がかかりを得ようと、長女が2歳のとき、自宅近くの食品卸売会社にパートタイマーとして入社。前職が営利企業でなかったため、営利企業の雰囲気を知っておきたいという気持ちもあった。

 パート先では経理事務やデータベースメンテナンスを担当。こちらも、とても居心地の良い職場だったけれど、次女を妊娠し、悪阻があまりに酷く入院、2年勤務したところで退職。ほとほと妊娠には向いていない身体だと自覚。


【その3:社会保険労務士事務所で教えを乞う】

 再就職に向け、資格をもう一つ取っておこうと、食品卸売会社在職中の2003年に社会保険労務士試験に合格。ただ、すぐには活動できないと思い、事務指定講習だけ受けて、登録は先送り。

 次女出産前は、悪阻に続き、再度の切迫早産で長期入院。そのため、仕事は開店休業状態だったけれど、出産後すぐに社会人向け通信添削の仕事に巡り合う。診断士活動も徐々に再開。その後、次女が8ヶ月のとき、渋谷区の社会保険労務士事務所にパートタイマーとして再就職。この事務所で社労士業務の入口部分を学ぶことができた(なお、こちらの社労士事務所には今でもお世話になっており、自分で対応不可能な案件もこちらに依頼)

 なお、実はこの事務所に辿り着く前に、2つの事務所に断られている。1つ目は子どもの年齢、2つ目は私の年齢が理由。ハローワークの相談窓口の感触からも、もう正社員としての就職は無理かもしれないな、と思った。


 【その4:本格独立に向けての模索】

 再就職が無理なら、せっかく取得した診断士と社労士という資格を活用しようと考え、社労士事務所で働きつつ、何か自分の専門を確立しようと模索。

 そんなときに出会ったのが、中小企業診断協会東京支部の(当時)「女性起業家支援プロコン養成マスターコース」と「人財開発研究会」。ここで志を同じくする診断士と出会い、刺激を受ける。

 ちょうど2007年末、「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」が策定されたのを知り、こんな社会の実現に、少しでも貢献できたらいいな…と考える。執筆や、人事関係の専門家派遣のお仕事をお受けしながら、インプットとアウトプットを繰り返す。対応できる業務の幅を広げたいと、2010年に社労士として勤務等登録、2013年に開業登録に変更。社労士事務所は退職。

 一方、地元自治体の融資あっせん窓口相談業務にもご縁をいただく。週1回の終日勤務を、結果的に10年と少し続けた。着任はリーマンショック直後、この間、東日本大震災、消費税増税、ゼロ金利政策を経験。加えてコロナの緊急融資相談も。この窓口では瞬発力と引き出しの多さを求められたが、直に経営者さんとお話しできるのは得がたい経験だった。併せて、日々奮闘する自治体職員さんたちを間近で拝見し、行政側の主張も理解できるようになったし、税金の使い方についても考えさせられた。


【その5:現在進行形の思い】

 その間も、世の中は、ワーク・ライフ・バランスから、「全員参加型社会」「一億総活躍社会」そして「働き方改革」へと舵を切ってきた。働き方に関する支援のニーズは高まっていると感じる。誰もが心穏やかに、「ここが自分の居場所」と確信を持って働ける社会であってほしい、たとえ時間制約があっても、何かしらのハンディがあっても…もっとも、それをマネジメントする経営者や管理者の負担がどんどん大きくなっているのでは…という心配もある。

 企業経営者の思い、働く側の思い、うまく折り合いをつけられたら…と願いながら、相変わらず試行錯誤女子大でキャリア関連科目を担当したり、育児休業の取得・復帰支援をしたりしながら、次世代にバトンタッチすべき世の中はどうあるべきかも、必死で考えている。が、答えはまだない。出せるのか?


 ここから先は、気が向いたら更新予定。もっとも、日々のつぶやきは、こちらのブログにて(2004年から不定期で継続中)

以下は、さらにどうでもいい情報ですが、ご興味を持たれた方のみクリックください(やはり隠しておきます)

・旧姓は「信耕」、学生時代はひたすら「珍しい苗字ですね」と言われ続けてきました。結婚で改姓して、ホッとしたような寂しいような…

・中学から30代前半まで吹奏楽をやっていました。アルトサックスとバスクラリネット担当。吹奏楽あるあるネタで、24時間話し続ける自信があります。

・いわゆる「ジャニオタ」でした…過去形なのは、かつての「推し」の多くは事務所を退所しているためです。専門(?)はSMAPとKAT-TUN。You&Jの会員証のキーホルダーは一生の宝物です。

・愛読書は、さくらももこ先生の「ちびまる子ちゃん」と、瀬戸口みづき先生の「ローカル女子の遠吠え」。静岡大好きです。このサイトの写真も、静岡関連のものです。